興福寺創建と中金堂鎮壇具
興福寺創建と中金堂鎮壇具
明治7年(1874)、中金堂基壇中から、創建時に地鎮のために埋納されたと思われる
金・銀・真珠・水晶・琥珀・瑠璃(ガラス)・瑪瑙などの七宝で作られた各種製品と銅鏡、刀剣など、
1400点あまりの鎮壇具が出土しました。
さらに、明治17年(1884)にも同じ場所から銀鋺、水晶玉など21点が出土しました。
これほど大量の鎮壇具が出土するのは稀であり、いずれも優れた工芸品であることから国宝に指定されて、
現在、前者は東京国立博物館に、後者は興福寺に収蔵されています。
また、最近の中金堂の発掘調査でも、創建時の鎮壇具と考えられる遺物が出土しています。
今回は、東京国立博物館所蔵品、興福寺所蔵品、最近の発掘調査での出土品を一堂に集め、
中金堂創建にかかわる鎮壇具の全容が初めて明らかになります。
中金堂鎮壇具(ちゅうこんどうちんだんぐ)
堂塔を建てる時、その建物が永く続き安泰であることを願って、地の神を静め、まつる儀式が行なわれ、
この時埋納される品が鎮壇具(ちんだんぐ)と言います。
奈良時代初期に創建された中金堂に埋納された千数百点にもおよぶ鎮壇具が、明治時代に須弥壇土中から発見されました。
内容は供養具、刀剣、玉、金銀貨幣、鏡類など種類の豊富さと豪華さは他に例をみないものです。
興福寺には5種類21点が所蔵されています。
水晶念珠玉(すいしょうねんじゅだま)
銀製鍍金唐草文脚杯(ぎんせいときんからくさもんきゃくはい)
鋳銀製で鍍金が内外面に施されており、脚と杯の3分の1が欠失しています。
外側面には花を咲かせ子葉を発しながら、大きく回転する唐草文と飛鳥、地には魚々子文を打つ。
見事なまでの唐草文の構成と彫法から、唐からの請来品であると思われます。
銀製鍍金唐花文鋺(ぎんせいときんからはなもんわん)
鋳銀製で外側面にのみ鍍金される。
その外側面には四弁、または6弁の花・蕾・葉を持つ蔓(つた)草風の唐花文を線刻し、地には魚々子文を打つ。
銀鋺(ぎんわん)
鋳銀製の鋺で銀製鍍金唐花文鋺と同じ。内外面に轆轤(ろくろ)引きの跡が残る。
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