中金堂再建
中金堂再建
中金堂は文政2年(1819)9月に、大勢の奈良の人々らの勧進によって、仮堂を再建された建物です。
興福寺には、金堂が3棟あり、中心となる金堂を中金堂と呼んでいます。
和銅3年(710)着手、7年完成、創建者を藤原不比等といわれています。
現在の建物は、享保2年(1717)焼失後、約100年を経過した文政2年(1819)9月25日に、
奈良公納堂町の豪商が中心となって勧進して、裳階にあたる周囲1間を縮小して、仮再建されました。
とりあえず仮堂を建てたのは、資金が足りなかったからで、資金ができたあかつきに、
完全な復元建物を再建する思いだったのだと推測されます。
しかし、その後の明治維新後の神仏分離令、社寺上地令、廃仏毀釈の混乱の中、
とても再建どころではなくなってしまいました。
中金堂の各部材は、多くがマツ材で、また瓦の焼きも甘く、年月を経るうちに荒廃が進み、
昭和50年に講堂跡に創立し、本尊釈迦如来像以下を移座し、
平成3年に『興福寺境内整備委員会』を設置し、整備について検討されました。
来る平成22年(2010)が、興福寺創建1300年にあたっており、
平成10年から平成19年までの10年間を、第1期整備計画として中金堂、
およびその周囲の整備をすすめることになり、中門と回廊跡の発掘調査を実地し、
平成11年度(1999)から国の史跡整備補助事業として組み入れられ、
回廊跡東北隅、中金堂前庭、中門跡の一部の調査を行い、
平成12年(2000)と13年度(2001)は、中金堂基壇の発掘調査に入りました。
現中金堂建物をどうするかについて種々検討した結果、あくまでも仮堂として建てられたもので、
マツ材が多く使われていること、また雨漏りのため腐食個所が多く、移建しての再利用は不可能であること、
柱のうち数本は再利用が可能であることがわかり、丁寧に解体して保存し再利用することになりました。
中金堂再建には60億もの巨額な費用がかかるようで、一般の人も歓進をすることができます。
1口2000円から寄進することができ、歴史的建造物の再建に一役買うことができます。
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